Article: House names 論文:屋号について

An article (in Japanese) examining the names giving to houses (households not families) has been earlier published in the journal of the Aomori Prefecture Folklore Association.

「屋号と村人の世界観―三戸郡南郷村島守地区の事例から―」という論文を青森県民俗の会の 『青森県の民俗』 第三号に2003年に載せられました。ここで、改めて紹介します。

論文の抜粋

一、はじめに

本稿では、青森県三戸郡南郷村の島守地区を対象としてとりあげ、地区において今も活きている屋号に焦点を当てて論じてみたい。農村・漁村はもちろん、都会においても屋号を使っている地域は、今なお多数確認される。とはいえ日常的に屋号を使う人の数が日々減っていることは間違いないことで、いずれ屋号は自然消滅の日を迎えるかもしれない。

言うまでもなく地域社会は大きな変化の中にある。県内に見られるあらゆる習俗に対し、高齢化・過疎化の荒波がさまざまな影響を与えていることは間違いない。地域社会の基本を構成する、イエとイエとの関係が激変することもある。そのような時代にあって、屋号はそれが付けられた当時の人々の世界観を知る手掛かりとなるので、これを調べることで、地域社会の構成の実体を明らかにすることは可能であろう。本稿における筆者の目的は、かかる認識にたって島守地区の屋号の全体像を把握し、それを通じて村人の世界観の構成を明らかにすることである。

ここで聞き取り調査を行なった対象は、旧島守村である。昭和32年(1957年)、島守村と中沢村との合併で、現在の南郷村が誕生した。島守は、村の東端に位置しており、北を八戸市是川、東を階上町、南を岩手県軽米町と接している。地区内にある島守舘の起源は明らかではないが、鎌倉時代に島守家が舘から当地域を支配したと言われる。

現在、島守地区は島守と頃巻沢という二つの大字から成る。それぞれはまた、行政区から十二区に分かれる。大字頃巻沢は一つの行政区からなり、大字島守は残りの十一区で構成されている。明治22年(1889)の町村制施行により、旧頃巻沢村が島守地区に入るが、本稿ではとりあえず、頃巻沢は除いてまとめることとする。

旧島守村は現在、世帯数650で地区の姓の数は196ある。村内結婚が圧倒的に多く、ここは縁戚関係が深い地区である。以下は、このような島守地区の家々を回って行なった聞き取り調査の報告である。

二、屋号の分類

屋号の数と種類は、それぞれの集落によって異なっている。当地区で見られる屋号の多くは、江戸末期から明治にかけて出来たと考えられている。今の世代に出来たものもあるが、特に歴史の古いイエの屋号は大正時代以前に付けられたものと考えられる。屋号で使用されるコトバを類型化すると、人名(名字、先代・先々代の人の名、世帯主の名)、職業、地名、家の場所(地形、位置・方角)、本家・分家関係に分けることができる・・・

「屋号と村人の世界観―三戸郡南郷村島守地区の事例から―」 『青森県の民俗』 第三号, 2003年7月1日, 頁1~12.

 

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